すうじとスイカ|エッセイ
社会の溢れる数字についてのお話
木皿泉さん脚本ドラマ「すいか」の中で、数字をテーマとした回があった。 登場人物の一人がネックレスかブレスレットを誕生日にプレゼントされる。そのとき、プレゼントする男性が ○万円したものだと言う。もらった彼女はそのことが気にくわない。一方、主人公の女性は子どもの頃から小 銭貯金をしつづけてきて、貯金箱いっぱいになり、その金額を数える。うろ覚えだけど、二人とも数字を聞い ても満足できない。どこかぴんと来ない。そんな内容だったと思う。
私がチェーン店のカフェに行ったとき、隣席の女性客二人(40代女性、20代女性)の会話が聞こえてきた。
40代女性「イケメンの○○君は25歳なのよー。料理人で年収1000万らしいよ。来年は年収2000万になる」
よく年収まで知ってるなという疑問が湧いたけど、女性は自分で話ながら興奮していた。
20代女性「そんなお金持ちなら、結婚したいわ」
40代女性「海外で料理の勉強で留学していて、300万かかったんだって」
気のせいか、この女性は数字の部分になると声が大きくなっていた。
この会話を聞いて、ドラマ「すいか」の数字の話を思い出した。数字はわかりやすく表現できる。売上、年収 、来場者数、年月。世界共通で通じる数字の力。いつのまにか、数字に振り回され、数字に拘ってる。そのこ とを考えもせず日常を送っている。女性客の会話を聞いて、私の耳に数字が強く響いた。この女性が拝金主義 だとか数字大好きだとか、そういうこと言いたいんじゃなくて。みんな数字に振り回されていることに、思い 至って。自分もまた、そういうところがあると気づかされた。
数字を使わなかったら、どんな会話になっていたか、想像してみた。
40代女性「イケメンの○○君は若いのにがんばってて。料理人で稼いでるの」
ならば、20代女性は「そんなお金持ちなら、結婚したいわ」なんて返さないかな。
40代女性「お金がかかるけど、貯めて、海外で料理の勉強で留学したんだって」
こんな会話だったら、数字の強いインパクトが頭に残らないだろうけど、ずっと日本語的だと思った。直接的 表現をしないのが日本語で、外国語に比べて自己主張が弱いと否定されるのを耳にするけど、ずっとこっちの 方がいいな。皆さんは、どうですか? いつのまにか数字に支配されていませんか?